「集合研修の時間が取れないので、我が社はEラーニングを推奨しているんです。」
先日、こんなお声をお聞きしました。
決してEラーニングを否定するつもりはありません。
実際、私もEラーニングを利用することもありますし、自分の都合のよい時間に都合の良い場所で、しかも、繰り返し受講できるなど、良い事がたくさんあります。
英語の上達。宅建資格取得。プレゼン技術の向上。コーチングスキルの習得。
社会人になっても、「学ぶ」ことはたくさんあります。
数えたらきりがありません。
必要な技術や資格のみならず、どんどんと意欲的に何かを習得しようとするのはとても良い事だと思います。
一方、私が「Eラーニングではその目的を達成できません!集合研修でなければ!」と考えるコトがあります。
それは、その研修で何をするかも大切ですが、そもそも「集まることに意味がある」のです。
同じ階層。同じ職種。同じ会社。異なる階層。多様な部署。多様な業種。多様な業界。
色々なパターンがあって良い。
それぞれに「集まる」ことが大切なのです。
集まって、それぞれが意見、アイデア、気持ちを率直に述べ合う。
反対意見もあれば大きく同調するところもあるでしょう。
「やっぱりそうだよね~」と互いに深く共感することもあれば
「え? へ~、そうなんだ」と驚きと共に新たな事実を発見することもあるでしょう。
「なんかすごいな~。うらやましい」と感じることもあれば
「うち、やばっ!」と焦ることもあるかもしれません。
全くかみ合わない議論から何かが生まれることもあるでしょうし
異なる他者からの素朴な質問がイノベーションを生む結果になることもあります。
いつも同じメンバーと同じ環境で同じやり方で話し合っていても、そのチームが発展していくのは無理とは言いませんが、現状から大きく躍進するのはスピードなり、変化の度合いなり、なかなか難しいものがあるのではないでしょうか。
だって、「いつも同じ」=「固まって」しまっているからです。
「集まる」ことによって、色々な刺激がそこに生まれ、モヤモヤから「!」に変わり、それらがやがて、良い方向へ向かっていく。
つまり、「集まる」ことが組織開発のスタートだとも言えるのです。
「集合研修はうちはもう、やっていないんですよ。効率化の時代ですから!」
もし、そんな風におっしゃる人材開発・組織開発のご担当者さまがいらっしゃったなら、私は声を大にして「オブジェクション!」を唱えます。
集合研修と効率化を同じ土俵で語ることはナンセンスです。
人の育成、組織の醸成は効率化とは無縁です。
どんなプログラムを、どんな対象者を、集合で行えば良いのか。
それを考えるのが大切なのです。
何故なら、集まることそのものが組織開発であり、組織開発が全く不要な組織など、この日本に、いえ、世界に皆無だからです。