誰だって変わることができる

徳は弧ならず

多国籍の優れた頭脳集団のプロジェクトリーダーを務めるMさんから相談がありました。

「みんな、自分の事しか考えていないんです。
プロジェクトの仕事も、日常業務とは別にやっていることなので、人によっては『オマケ』的感覚でやらされ感満載で。
だから、こちらからの依頼にも非協力的で。
先日も、全員のスケジュールを確認してミーティングの招集をかけたのに、一人来なくって。
どうしたのか確認したら、『アジェンダ見たけど、僕には必要なく時間の無駄だと思った。結果レポートだけ読めば十分だよ。』と言われて。
プロジェクトの仕事をメンバーにお願いしたくても、それぞれの上司が『余計な仕事はするな。効率上げてさっさと帰れ。』的な感覚で。
もう、私、闘い疲れてしまって。
いえ、私は闘いたいわけじゃないけど、相手が闘ってくるんだから、こちらも闘わないと仕方ないですよね。
仕事は好きだけど、本当にもう、今のポジション、辛いんです。」

涙交じりに話すMさん。
私は、いつも穏やかで、どちらかというとおっとりしたイメージをMさんに抱いていたので、Mさんから「闘う」というフレーズを聞いた時には、正直、驚きました。

「闘うの、やめられない? 相手が闘ってきても、闘うの放棄するのは難しい?」

「そしたら、私が潰れてしまう・・・・」

「そっかぁ。それは辛いね。」

「けど、闘うのも辛いです。そんなの、本当は好きじゃない・・・。」

「そっかぁ。それも辛いね。」

こんなやり取りをしていましたが、Mさんの気持ちが少し落ち着いてきたようだったので、別の質問をしてみました。

「Mさんはプロジェクトリーダーの仕事は好きなんだよね。やりがいも感じているし。
そのプロジェクトの取り組みは、メンバーのみんなにとっては、つまらないことなの?」

「そんなこと、ないと思います。自分から手を上げて集まったメンバーばかりですから。
けど、みんな、自分のことにしか興味ないんです。
それで、1ミリでも損するのはイヤ、とはっきりしているんです。」

「そっかぁ。それはまた、しんどいね。で、どうする?」

「外資だから仕方ないんだと思います。こっちの気持ちとか、わかってもらえない・・・」

「人の気持ちに日本人も外国人も関係ないと思うけど。『徳は弧ならず』だよ。
必ず、わかってくれる人、協力者、応援者が現れると思うけどな。
闘うのをやめた時に・・・。」

その時には諦め笑顔だったMさん。
それから約10日後に、なんとも嬉しいメールが私の下に届いたのです。

「私、あれ以来、闘うのを少しやめてみたんです。
それとは関係ないけど、突然、自分が嫌な仕事を私に押し返して戦ってくる人たちの上司が異動になり、そうしたら、『本当は僕らがもっとやるべきだった』と、私がお願いした以上のものすごいたくさんの仕事を引き受けてくれることになったんです。
奇跡です!
ものすごいタイミングで上司が異動になってくれたおかげで。
私、彼らに勝手によくないイメージを持ってしまっていたけど、本当はとても良い人たち。
彼らも大変だったんだと思います。
今は、良い関係性を築けています。
ご相談に乗っていただいたけど、今は、ものすごく恵まれた環境で働けています。」

メールからは幸せマークが溢れているように感じました。

「それはおめでとう!
上司の異動は偶然かもしれないけど、メンバーの人たちの協力は偶然ではないよ。
まさに、『徳は弧ならず』。
Mさんのこれまでをちゃんと見ていた人たちが、協力者、理解者、応援者に変わったんだね。
全てはMさんのこれまでの行動が呼び寄せたんだよ。
おめでとう!」

「徳は弧ならず 必ず、隣あり」

Mさん、良かったですね。
嬉しいご報告を、どうもありがとうございました!

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