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言葉が凶器になる時

テレビを見ていると、マスコミの人たちの暴言とも取れるような質問力の低さをとても残念に感じることが度々あります。
例えば最近で言うと、園児たちが巻き込まれた交通事故に関する幼稚園側の会見の場面。
幼稚園側に落ち度はなかったのかと責めるような質問がなされ、唖然としてしまいました。
例えば記憶に新しいところで言うと、住宅メーカーの不正に対する会社側会見の場面。
明らかに会社側に落ち度があり、被害者とされる方達はお気の毒としか言いようがありませんが、会見場で質問をするマスコミは、まるで自分たちが正義だと言わんばかりに責任追及をしたいのか、本来もっと明らかにされるべき本筋に全く触れることなく、ただ騒ぎ立てるばかりで、見ているこちらが気分を害してしまい、チャンネルを変えてしまいたくなるほどです。

しかしこれらはマスコミ限ったことではありません。
似たような事は職場でも散見されます。

「どうしてやらなかったの?」
「その判断に間違いはなかったの?」
「問題が起きるかもしれないと想定できなかったの?」

ネガティブな状況に陥った時、本来なされるべき質問は、その状況に陥った原因をしっかりと分析し、問題を解決・好転させる糸口を見出すためのものでなければいけません。
ところが立場がそうさせるのか、ネガティブな状況を不幸にも作ってしまったメンバーへの怒りからなのか、質問ではなく詰問になってしまったり、場合によっては話が大きくそれて、相手の人格否定や存在否定とさえも取れるような発言をしてしまう人がいるのです。
(以前の私は、完全にそちら組でした・・・)

これでは、被害者意識満載(無自覚かもしれませんが)or 正義感で溢れた発言者が、実は立派な加害者です。
凶器は言葉、その発言です。

多くの場合、このような発言をしてしまう人に加害者意識は全くありません。
自分が正義だと思っているかもしれないし、被害者だと思っているかもしれないし、救世者と思っているかもしれません。
しかしそれは大きな勘違い。
言葉という凶器を使い加害者に転じてしまった人に他ありません。

この状況には、誰もが陥ってしまう可能性があります。
問題に対するショックが大きかったり、被害者感が否めなかったりすると、ついつい相手を責めてしまうものです。
そこに立場やパワーが伴うと、一層勢いは強まります。
言葉が凶器と化し、どんどんと相手を追い詰めてしまうのです。

言葉は人の心を癒すことができる、とても素晴らしいモノですが、一方、人を深く傷つけてしまう、見えない凶器にもなりえるモノです。
そして、誰もが加害者になる可能性もある・・・

ネガティブな状況に陥った時、追い詰められてしまった時、怒りや悲しみの感情に包まれてしまった時、その可能性が膨らみます。
だからこそ、常日頃から自分の発する言葉をポジティブで丁寧&美しいものに整え、万が一の時にもネガティブワードが口から飛び出すことが無いよう、気をつけたいものです。

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