美しい言葉を発する人の周りには、清らかな空気が漂い
傍にいてとても心地よいし、その人の話がすっと心に入ってきます。
乱れた言葉を発する人の周りには、淀んだ空気がまとわりつき、
その場から離れたい、関わり合いたくないと感じます。
美しい言葉とは、標準語でなければならないとか、
敬語、丁寧語でなければならないということではありません。
その時々に適切な表現、分かりやすい表現、
相手を思う気持ちがわかる言葉などを言います。
人との関わりで苦労していた頃、
私は言葉が乱れていたように思います。
乱暴な言葉を使っていたわけではありませんし、
敬語、丁寧語、謙遜語など、国語的問題はなかったと思います。
しかし、表現の端々に虚栄心や恐れ、不安、自己肯定の低さが滲み出る
言葉を使っていたように思います。
自分ではわからなくても、意識していなくても、
潜在意識に潜むそれらは言葉となって現れ、
それを聞く人は、私の黒い部分が言葉の波動を通じて伝わるのですね。
同じことを言っても、私から流れ出るダークな雰囲気が
メンバーの委縮を招いたり、不安を増長させたりと
良い方向になかなかいかなかったのも今となっては頷けます。
どんな言葉を使うかは、つまりはどんなエネルギーを発するかと同じです。
思いやりに満ちた言葉、相手をいたわる言葉、
謙虚な心、素直な心が滲み出る言葉、
まずは意識して言葉を磨くことにより、後付けで心も本当にソコに落ち着いてきます。
若者言葉で話すと若者以外にはなかなか話は通じませんし、
業界用語多用だと、業界の人にしか話は通じません。
対象を絞った時にはそれでも良いですが、
もっと多くの人に知ってほしい、分かってほしい、などの場合
やはり磨かれた言葉で語られた話は、多くの共感や理解を生むというものです。
あなたがもっと周囲の理解を得たい、協力が欲しい、
と願うなら、
言葉を磨いてみませんか。
あなたが発する言葉はあなたが発するエネルギーそのものです。
良きエネルギーを、そこに触れたいと他人が感じるようなエネルギーを
言葉を通じて発したいものです。