「良いマネージャーとはメンバーを勝たせて(成功させて)あげられる人」と言う人がいますが、本当にそうでしょうか?
少なくとも私が一緒に仕事をしてきた人たちで、今も変わらず好意を持ち、仕事の関りがなくなった今も一人の人間として関わっていきたいと思うのは、成功体験や勝ちを与えてくれたマネージャーではなく、私のために時間と労力を惜しまずにたくさんの思いやりと愛情を注いでくれた人でした。
その中でも大好きだったMマネージャーに、こんなエピソードがあります。
ある日のこと、電車の中で身体の不自由な若い女性が男達に絡まれていました。乗客は皆、見て見ぬふりです。Mマネージャーは助けに入ったところ、男達がMマネージャーに対してすごんできました。Mマネージャーも、外見はイケてるサラリーマンと言うよりは、どこかの親分に風貌が似ており負けずに睨み返して言いました。
「文句があるなら新宿のJTBにいつでも行ってこい。俺は逃げも隠れもしないから。」
その勢いに圧倒されて男達は逃げていき、若い女性はケガもなく無事でした。女性はMマネージャーに名前を尋ねましたが、わざわざ名乗るほどの事もないと、改札口まで女性を送るとまた、電車に乗ったそうです。
後日、Mマネージャーの勤務先である新宿支店に、大手有名メーカーの秘書の方がやってきました。
「強面の風貌で、40代半ばくらいの男性はお勤めですか?」
実は身体が不自由だった若い女性は、このメーカーの会長さんの孫娘さんだったのです。名前は名乗らなかったけど、男達にすごんでいた時に言った「新宿のJTB」を覚えていて、それを頼りに秘書の方が御礼にやってこられたのでした。
この話を聞いた時、「やっぱり私が大好きなMマネージャーだ!」ととても誇らしい気持ちになり、また、こういう人と一緒に仕事ができていたことに強い喜びを感じました。こういうMマネージャーだから、「この人を栄転させてあげるために自分たちは必死で頑張ることができたんだ」と、Mマネージャーと共に働いた日々を懐かしく思い出し、そんな時間を与えてもらったことに感謝しました。
きっとこの女性も、Mマネージャーの背中に対して手を合わせたのではないでしょうか。
「後ろから拝まれる人」になりなさい。
これは、私が師と仰ぐ北川先生がいつもおっしゃることで、西郷隆盛が「偉い人とはどんな人か」と問われた時に答えた言葉だそうです。
「偉い人とは、大臣であるとか大将であるとかの地位ではない。財産の有無ではない。一言に尽くせば、後ろから拝まれる人である。死後、慕われる人である」
「後ろから拝まれる人」とは、相手のために損得抜きにしてどれだけ与えることができるかということです。
与えるものはお金ではありません。地位や名誉、作られた勝ちでもありません。
第一に自分の時間を与えることができるか。時間=命と考えると、自分の時間を与えるということは命を削ることと同意となります。相手のために損得抜きにしてどれだけ自分の時間を割くことができるか。これは自分の命を相手に与えているのと同じことなのです。
時間の他にも思いやり、励まし、努力、助け、好意、許し、相手を受け入れることなど。目立った大きな事ではなく、小さなことで良いのです。
相手の心の痛みや哀しみをわかって上げることができる。
自分が受けた苦しみや痛みと同じ原因を決して人に与えないと決心し実行できる。
痛みのある人に喜びを与えることができる。
後ろから拝まれるような徳のある人というと、ものすごくハードルが高く、自分には到底無理!と思いがちですが、毎日のちょっとした積み重ねで、相手に対して自分の何かを与えることはできるのではないでしょうか。
もし、マネージャーがメンバーに対して、こんな風にマネージャーの持つ「時間」や「思いやり」、「自分のための努力」や「自分を受け入れること」を損得抜きに与えてくれたなら、メンバーはそのマネージャ―に対してどんな気持ちを抱くでしょうか。私はMマネージャーからこれらのモノを存分に与えてもらいました。だからこそ、私達チームのメンバーも損得抜きで、「マネージャーのためだったら」と頑張れたのだと思います。
仕事においてもプライベートにおいても、一人の人間としての「中身」が装った衣よりも大きく意味を成す今の時代。
目の前で堂々と手を合わせられるよりも、後ろから拝まれる人になる、そんな毎日の小さな積み重ねをコツコツと忘れずにやっていきたいと思います。