人間とAIとの最も大きな違いは、感情があるかないかだと思う。
どんなに冷静沈着でも人には感情があり、一瞬の感情の揺らぎが目を曇らせたり判断に齟齬を生じさせることがある。
ましてや私のような凡人は、日ごろから感情に揺さぶられること、この上なく大きい。
人の感情を扱う分野の学びに際して、スーパーサイボーグのように全ては理論の塊で脳が構成されていますというような彼から質問があった。
「それらの一つ一つについて、ロジックを積み重ねて合理的に判断できるような方法はあるのでしょうか?」
会場全体が完全にしらけ切ったにも関わらず、彼はその後を堂々と続けた。「ロジックで説明がつけば、いちいちそこに時間を掛ける必要もないので、それぞれの人に投資する時間も、もっと効率的に他へ配分できると考えます。」
彼の質問に対する講師の答えは明瞭簡潔だった。
「そんなものは存在しない。君のようにすべてを論理で片付けようとする場合、君の仕事がどんなに高度になろうとも、AIに簡単に取って代わられるだろう。しかし、僕は人間の感情と言う摩訶不思議なものを丁寧に扱うことで、絶対にAIに負けることなく、今後も自分の存在意義を確かなものにすることができると思っている。君は優秀かもしれないが、君の知識技能は、絶対にAIには通わない。自分の存在価値を発揮したければ、人間らしい心の部分をより大切に扱うべきだ。」
スーパーサイボーグのような彼は顔を真っ赤にして、いかにも人間らしい感情を露わにした。その感情は彼のコンピューター制御を一瞬狂わせ、どんな時にもロジカルで反論する彼から言葉を奪い、「わかりました。」と力ない返答を引き出すことに成功した。
人間には感情があるがゆえに、そのマネジメントを面倒で難しいものにしてしまう。しかしそれを適切に扱うことができるのは、今のところは当の人間だけであり、AIにもそれは叶わない。
感情に引きずられては、コトは前へ進まない。しかし正論だけでもコトは進まず、感情は時に追い風にもなれば巨大な障害ともなりうる。そしてその感情を扱うことができるのは人間だけだ。
進化の時代だからこそ感情に目を向ける必要がある。感情を適切に取り扱い、自らも他者においても感情マネジメントできる人こそが、AIに取って代わられることのない、これからも生き残ることが可能な存在なのだから。