最近、ある組織の中でのやりとりをきっかけに、こんなことを考えるようになりました。
とても優秀で、成績も実績も申し分ない人がいます。
ただ、その人は毎回の定例会議に遅れてきて、
自分の発表が終わると「アポがあるので」とすぐに退出します。
場の空気を共有することや、
チームメンバーに質問やアドバイスすることでチームに貢献することに
興味がなさそうです。
合理的に考えれば、無駄を省き、必要なことだけに集中するその姿勢は効率的です。
実際、彼は高い成果を出しているので、会社としては強く注意できないのかもしれません。
でも、私はふと思ってしまうのです。
「この人が本当に困ったとき、誰かが自然と手を差し伸べてくれるのだろうか?」と。
人と人との関係には、「合理性」や「役割分担」では測れないものがあります。
私はそれを、「にじみ」と呼んでいます。
たとえば、何気ない雑談や、特に意味のない立ち話。
相手の話にリアクションするだけの時間、なんとなく共有する沈黙。
そういった“余白”の中に、人間関係の温度や、信頼の芽が育っていることは、あると思います。
「にじみ」とは、合理的な判断では説明しきれない、
人と人とのあいだに自然と生まれる“やわらかなつながり”のこと。
合理主義は、強さをつくります。
でも、にじみは、しなやかさをつくる。
コンサルの現場でも、ときにこんなジレンマに出会います。
派閥争いが起きていたり、表には見えない緊張感が走っていたりすると、
「どちら側につくべきか」と天秤をかけたくなることもあるでしょう。
その方が“合理的な判断”だし、後々のことを考えると安全でもあります。
しかし私は、いつもそこに「感情」を持ち込んでしまいます。
「あの人の真摯な姿勢を、私は知っている」
「このチームの努力が、ちゃんと報われてほしい」
そう思ってしまうと、どうしても損得だけで動けなくなるのです。
合理主義で判断しようとするとき、私の中に「にじみ」が顔を出します。
人間関係において、それは時に“めんどくさい”し、“遠回り”かもしれません。
しかしその非効率こそが、チームや組織のあたたかさをつくることもあるのではないかと思うのです。
合理的に強くなるのではなく、にじみのある関係で、しなやかに折れずにいられる。
そんな人とチームを、これからも応援していきたいなと思います。
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