「〇〇代行」というサービスが世の中に登場して久しい。
近年では、「退職代行」「謝罪代行」など、ある意味、何でも代行になっているとさえ感じる。
ニーズがあるところにサービスは存在するのが必然であり、
直接的なコミュニケーションへの抵抗や、わずらわしさを避けたいというのが起因するのだろう。
一方、私は「社外CHRO」や「社外管理職」として、
企業様から業務を請け負っている。
これは、その企業に、今まさに必要な専門性を持つ人材がいない、
または、機能不全に陥っている場合に求められるものだ。
企業が最初からその役割を外部に依存しようとしているのではなく、
成長や変革のために、一時的に外部の力を活用する、戦力的な選択である。
つまり、「代行」と一言で言っても、その意味合いは大きく異なるのだ。
前者は、本来は当事者間で行われるべきものが第三者によって肩代わりされる。
後者は、専門知識や経験を外部から導入することで、企業の機能を補完すしている。
退職の意向を伝えるだけでなく、
体調不良による休みを連絡する、有給休暇の申請をする、などの日常コミュニケーションにおいても
代行サービスを利用するケースが増えてきていると聞く。
コミュニケーションが極度に苦手、精神的な負担が大きい状況などの場合、
これら代行サービスや有益な選択肢である。
しかし、誰もが「逃げ」の手段としてサービスを利用するのは、考えものである。
逃げることで、
逃げ癖がつく、信頼を失う、問題解決能力を養うチャンスを逃すなど、自身の成長機会が奪われる。
また、コミュニケーションは、人と人とが何かを行う上での根幹にあり、
人間関係を希薄にする要因にもなりかねない。
技術やAIがどれほど進化しても、
ビジネスの現場においても、日常生活においても、
温度感のある人と人とのコミュニケーションは不可欠だ。
なぜなら、人間は「感情の生き物」であり、
わたしたちは冷え切った状態で心を最適に保つことはできないからだ。
「〇〇代行」サービスは、効率化や利便性をもたらすかもしれない。
しかし、その裏側で、人として大切な「感情の交流」の機会を奪ってしまう可能性もある。
「自動運転の車は人がいないからホッとする。煩わしくない。」
と発言するテレビのコメンテーターがいたが、
究極の場面では、やはり、人と人との温かさが何よりも大切になると
私は信じている。
役員代行と退職代行などのコミュニケーション代行は、その本質が全く異なる。
もしあなたが「〇〇代行」サービスの利用を検討しているのであれば、
「本当に必要な選択」か、「逃げ」かを今一度、自分に問うてほしい。
その選択が、将来の自分にとって本当に有益なものかどうか、自分で見極めてほしい。
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