買い物帰りに商店街をブラブラしていると、ファーがついた革のコートに茶色の帽子をかぶったお洒落な身なりの白髪のご年配の女性に道を尋ねられました。
「薬師神社はどう行けばいいですか?」
「ああ、新井薬師様のことですね。すぐ近くですよ。」
そう言ってすぐ、そのご婦人が新井薬師梅照院の地図を手にしている事に気がつきました。
きっと、道に迷ったのだと思いました。
最寄駅からすぐとは言え、細い道があちこちにあり、このあたりに引っ越してきたばかりの頃、私も迷ってしまった覚えがあります。
「駅から5分と書いてあるんですけど、間違えたのかしら・・・。」
明るくハキハキとした物言いのそのご婦人に、不思議と親近感を覚えました。
「駅からもすぐ近くなんですよ。でも、少し分かりづらいかもしれませんね。ココからもすぐですが、私、ちょうどお薬師様の前を通って家へ帰る途中なので、ご一緒しますよ。ついでに、帰り道もお知らせしますね。」
そう言うと、ご婦人は満面の笑顔で言いました。
「まあ、何てこと。本当にありがとう。きっと神様があなたのような親切な方に引き合わせてくれたんだわ。私ね、世田谷から来たの。緑内障になってしまって。新井薬師は目の神様だと言うから。でも、本当に良かったわ。ありがとう。」
84歳にはとても見えないそのチャーミングなご婦人はお薬師様までの道中、私の腕をつかみ、子供のようにはしゃいでお喋りをしていました。「たくさん人がいたけれど、なぜだか、あなたに道を訊きなさいと神様に言われた気がしたのよ。本当に良かったわ。」
その話を聞いて、以前、ネットで見た「道を聞かれる人になりなさい」という記事を思い出しました。
人が道を聞くとき、誰でもいいと思って聞くわけではなく、ある程度選んで聞いている。見知らぬ人から見て、やさしそうでキチンとしていて、人相が良く、親切にしてくれそうに見えるという、たくさんいる中から、一番聞きやすそうな人を選んでいる。つまり、「道を聞かれる」ということは、誰からも親しまれるオーラを持っていて、親切で良い人に見える、ということなのだと。
すると、私を選んでくれたご婦人に私の方がお礼を言いたい気持ちになり、もっともっと親切にしてあげたいと思えてきたのです。
道を聞かれることが、私にとっては褒めてもらったような気持ちになれたということです。
別れ際、普段なら「お帰りもお気をつけて」と当たり障りのない言葉で終わってしまうところですが、どうしても感謝の気持ちをお伝えしたくなってしまいました。
「私を選んで道を尋ねて下さってありがとうございました。おばあちゃまとご一緒できて、母親孝行できているような気持ちになれて嬉しかったです。お薬師様で良いお参りができますように。」
そして心の中では「もっともっと道を聞かれる人になろう。メンバーからも、もっともっと気軽に質問される人になろう。」と思ったのでした。