誰だって変わることができる

何のために頑張るの?

「そろばん教室へ行きたい。」

小学2年か3年の頃、母へこう言いました。
当時は算数の授業でもそろばんの時間があったし、母も珠算は上級取得者。学習塾に通っていたわけではない私が勉強に関する習い事のお願いをして、拒否されるわけがないと思っていたのです。

「どうしてそろばん教室行きたいの?お教室わざわざ行かなくても、由佳、そろばんちゃんとできるじゃない。」

二つ返事でOKをもらえると思っていたため、母の「どうして?」の質問を予想していなかった私は困ってしまい、本音を漏らしてしまいました。
「だって、たかちゃんもけいこちゃんも、みんな行ってるもん。クラスで行ってない子の方が少ないよ。」
半べそでそう言った私に母はピシャリと言いました。

「そろばん教室はお遊びの場じゃないのよ。『みんなが行ってる』は理由にならない。そんな理由で習い事するなんて許しません。」

まだ小さかった私は母をオニババ扱いして泣きじゃくったようですが、母は頑として受け付けてくれませんでした。

姪っ子が小学生の頃、姉がこぼしていたことがあります。
「『公文へどうしても行きたい!』って言うから通わせたけど、お友達が皆んな行っているから自分もと言う不純な動機だった。どうりで成績上がらないし、宿題だってまともにやらないわけよね。まあ、見抜けなかったこっちが悪いんだけど。」

お友達のほとんどが公文へ通い、仲の良い子もまた皆通っているため、姪っ子は学校の延長として公文へ行くことを希望したようですが、それは成績を上げるためとか、中学受験に備えてとか、そういった具体的な理由が彼女にあったわけではなく、ただ、「みんなが行っているから」という理由だけでした。

「私ね、すごく悩んでいるのよ。どうやったら子供たちの成績を伸ばしてあげられるかって。けど、向こうは全然そんな感じじゃないのよね。宿題は忘れてくる。ほんのちょっとの応用問題にも『習っていないから』と尻込みする。どうしたもんだかねぇ。」
学習塾を経営している先輩が、先日、こんな風に言っていました。

こんな風に真剣に考えてくれる塾の先生がいるだなんて、そこに通っている子供たちは幸せだなと思いました。
と同時に、子供たちは「なぜ」塾に通っているのか、その「目的」が明確でない子もいるのかもしれないとも思いました。

親や教師からしてみたら塾へ通う目的は「成績を上げるため」「分からないところを補強するため」「学校の授業についていけるようになるため」など、学力向上以外には考えていないと思います。
しかし、子供の側からすると必ずしもそうとは限りません。
塾が遊び場のようとはよく聞く話です。
「みんなが行っているから」「行かないと学校で友達の話についていけないから」「親が行けと言ったから」などが考えられます。
こんな私でさえ、中学1年の時に英語の個別指導塾へ通っていた理由は親と姉への忖度以外の何物でもありませんでした。姉がその塾をとても気に入っていて私も当たり前のように通うよう言われ、「No」と言う事ができなかったのです。

大人になってからの学びは、自分が必要だと感じるため自ら学ぶことが主となります。社会人大学院しかり、自己啓発セミナーしかりです。
もちろん学ばなければ仕事に支障があるという理由でイヤイヤ学ぶ人もいるでしょうが、それも含めて自らが何らかの明確な目的を持って学んでいます。

ところが、子供の場合、特に小学生の頃から学ぶことに明確な目的をもって学んでいる子は殆どいないのではないでしょうか?
私の姉はごく少数派で、小学生の頃から「御茶ノ水女子大学へ行く!」と決めていたようで(その後、どうするかは不明でしたが・・・)、そのためとても真面目に勉強していました。(ちなみに彼女は小学校は常にオール5、中学では常に学年1番、高校でもかなりの優秀な成績で、私など足元にも及ばぬ超優秀な生徒でした。)
私はと言うと、東京のバレエ団に入って将来はプリマになると決めていましたが、東京のバレエ団に入るには東京の大学へ行かなければ、しかも四国の田舎から東京へ出て生活費と大学の学費とバレエ団の全ての費用を負担するにはとんでもないお金がかかるため、絶対に国立大学しか認めないと言われていたため、当時、世間知らずだった私は東京の国立大学は東大しかないと思い込んでおり(姉はお茶大を目指していたのに・・・)、かなりの成績でないと難しいと思い、プリマと勉強は結び付かなかったものの、東京へ出るためにそれなりに勉強をしていたように思います。

「うちのみっちゃん、全然勉強しなくって塾へ行っていても遊んでばっかりだったんだけど、最近、ようやく机へ向かうようになってきてホッとしてるの。」
小学6年生になったお子さんを持つお母さんが、最近、笑顔で話してくれました。

「へぇ~。どうしてまた?」
私が尋ねるとお母さんが嬉しそうに話してくれました。

「やる気スイッチが入ったの。尾藤さんのプリマと東大の話、あれをヒントにしたの。
ただ『勉強しろ』「そんなんじゃいい学校に入れない』と言っても、子供には響かないのよね。『成績上げろはママの見栄でしょ!』とか言われて。
けど、みっちゃんね、サッカー選手に、しかもヨーロッパで活躍できるくらいのプロサッカー選手になりたいっていつも言うから言ってやったの。
『みっちゃん。サッカー選手もバカじゃなれないよ。試合の戦い方もそうだけど、本田選手だって長友選手だって、みんな、イタリア語だったり英語だったり、向こうの言葉を普通に喋れるようになってるよ。それに、それだけのビッグマネーを稼げるようになってる人たちは、実業家としても活躍しているじゃない。あれ、みんなちゃんと勉強してきてるからできるんじゃない。ネイマールはスゴイ選手だけど、脱税で騒がれて。任せている人が悪かったんだろうけど。日本の選手だってそうなるかもしれないけど、そうならないのはみんな、子供の頃にちゃんと勉強しているからじゃないのかなぁ。活躍している一流のスポーツ選手はみんな、勉強もちゃんとしてきているみたいよね。』って。
そしたらね、最初はなんだかんだ反発してたけど、今、メジャーで時の人の大谷翔平選手も花巻東高校では野球だけじゃなくて勉強もかなりしてたとか、そもそもあまりにも成績悪すぎるとサッカー強い学校へ行けないとか思ったみたい。前よりもはるかに机へ向かうようになったのよ。みっちゃんのやる気スイッチがやっと入ったみたい。ありがとうね。」

そうなのです。
結局のところ、「勉強する」「成績を上げる」は手段であり目的ではないのです。
その先の目的は何か? そこが見えなければ、ただ勉強しろと言われても頑張れないし、何のために成績上げなきゃいけないの?となるわけです。
子どもだっておんなじ。子どもだから勉強しろ!では彼らだって動かないし、「成績上がった方が良いよね」は大人の理屈であって、彼らがそこにコミットしない限り、つまり、なぜ成績が上がった方が良いか、その先のモノと紐づいて彼らの頭で納得できない限り、やる気スイッチは入らないのです。
多分・・・・。恐らく・・・・。絶対に。

大人だって子どもだって、頑張るには「目的」がクリアな方が良いに決まっています。
頑張れない大人たち。頑張れない子どもたち。
頑張れないあなたが悪いのではなく、ただ「何のために」が今見えていないだけ。
そこが見えれば黙っていても車は動き出しますよ。

あなたは何のために頑張るの?

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