誰だって変わることができる

なぜ、その選択ができたのか

一昨日のブログ「戦わない選択」をお読みになった方から質問をいただきました。

「そうは言っても、いちいち突っかかってくるMさんみたいな人に、簡単に『戦わない選択』がそんなに簡単にできるんでしょうか?Yさんはもともとが人格者なんですか?」

この疑問、ご質問はいたってノーマル。
そう感じても全く不思議ではありません。
実のところを言うと、Yさんにしても葛藤がありました。

ミーティングでMさんが突っかかってきたら、Mさんがみんなの前で言われたら困るYさんだけが知っているちょっとした秘密を知らん顔してばらしてしまう、とか。
Mさんは自分の好き嫌いでしか仕事をしないのかと反撃しよう、とか。

つまりは「戦う選択」にどうしても心が引きずられてしまっていました。
どうしてそうなるんだろうね。
何がYさんの心に戦う選択をさせるんだろうね。

そんな質問をいくつかYさんに投げかけました。
すると、YさんはYさんの中の本心に気がついたのです。

「私が提案したことではないですが、みんながサポートしてくれるようになればそれはとても助かるし、もっといい仕事、結果が出せるんじゃないかと思うし、そういう『欲』が実はありました。今、キツイのは事実ですし。今回の提案は私にとってはチャンスです。自分から言い出したわけじゃないだけにラッキーです。できることならその通りに決まってほしい。そうなると良いな。なのに、それを阻止しようとするMさんが本当は鬱陶しい。邪魔しないでほしい。せっかくのチャンスを潰さないでほしい。」

つまり、Yさんの意図しないところで提案されたことですが、YさんにとってはWelcomeの内容だったため、Yさん自身、口では「どちらに決まってもよい」と言いながらも、内心は「決まってほしい」という強い思いが本人も気づかないところで強く存在していたのでした。

そんな自分の気持ちに気づいたYさんには二つの選択肢がありました。
一つは、その気持ちを素直に認め、きっかけは周囲からの提案だが自分の要望でもあると正直にみんなに伝え、サポートをお願いしたいと自ら告げること。
つまり、「自分は特段サポートが必要なわけではなく、望んでもいなかったけど周りが言ってくれたのよね。」というズルいスタンスはやめること。
もう一つは、その気持ちを手放し、どちらに決まっても良い、どういう結果になってもその状態を気持ちよく受け入れると心を決めること。

この二者択一に対して、Yさんは殆ど迷うことなく後者を選びました。
「自分が好きで始めたことだから、助けてもらえるのはありがたいけど、今更自分からSOSするのはやはり筋違いだと、それはMさんの言う通りで、確かに自分でもそう思う。だから、こういう提案があったことに心から感謝して、また、時間を割いて話し合いを持ってくれたことにも感謝して、結果がどうであってもその結果をありがたく受け入れます。」

「自分の利」を手放すことができたからこそ、Yさんは戦わない選択をできたのでしょう。
自分の利に執着しないYさんだったから、同じチームの仲間達にも良い影響を与えることができたのでしょう。

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