「生存の欲求」とは、そのものズバリ!
「生きる」ことに関する欲求です。
食欲、睡眠欲、性欲などの、本能的なものは当然のこと
安心・安全・安定
健康
などがあげられます。
マズローの段階説の考え方では
人は一番最初に生存の欲求が満たされなければならない
と言われています。
一方、グラッサーは、欲求は段階的に満たされるものではなく、
それぞれの度合い(器の大きさ)が人によって異なる
と考えています。
グラッサーの考え方に基づくと、生存の欲求の度合が強い人と弱い人がいると考えます。
そして、段階説ではなく、欲求の度合いという考えに基づくと、全てが納得がいくのです。
我が身の危険を顧みずに危険な任務にあたる、例えば、自衛隊や消防士、警察の方々。
使命感に駆られて危険地域でも確かな報道を世界に届けようと進んでいくジャーナリスト達。
未知との病原菌との戦いを続けてきた医学者や科学者たち。
他にも例はまだまだたくさんあります。
極端なところでは、歪んだ使命感で行われる自爆テロ。
どれもこれも、生存の欲求が満たされることを前提とする考えでは辻褄が合わないことばかり。
答えはシンプル。
彼らの生存の欲求の器は、とても小さいのだと思います。
もちろん、戦争や災害などの、直接的に生命の危機を感じるような出来事が突然起こった場合、誰しもが自分の命を守ろうと、その瞬間、一時的に生存の欲求が高まることはあるでしょう。
それらはあくまでも例外的な「一時的」なものであり、本来の器の大きさは決まっているのです。
かつて、私のチームに、生存の欲求がとても強いメンバーAさんがいました。
石橋を叩いても渡らない、なおかつ何らかの安心保障が欲しいくらいの慎重派のAさん。
私は彼女は臆病者とイライラしたものでしたが、この欲求の考え方を理解して以来、彼女に合った対応、指示の出し方に工夫したことで、互いにとても良い関係性に転じ、また、彼女も高いパフォーマンスを出してくれるようになりました。
生存の欲求が強いAさんは、私からの叱責は、安心安全とは対極の状態ですから、ひどく欲求が阻害されることに他ありません。
ですから、彼女に注意しなければならない時は、彼女の安心・安全が担保されるような物理的状況を作るように工夫をしました。
変化を嫌い、失敗を極端に恐れる傾向があったので、いきなり大きな状況でのチャレンジを強いるのではなく、小さな金魚鉢くらいのサイズでのチャレンジを積み重ねるような取り組み方に変えたり、ミスからの振り返りによる経験ノートを作って彼女の宝とすることで、失敗ではなく経験知を積んでいっていると、彼女が強い「楽しみの欲求」が満たされるような工夫もしました。
チャレンジが苦手(しない)
変化を嫌う
失敗を恐れる
こういった傾向のメンバーは、もしかしたらAさん同様、「生存の欲求」が強いのかもしれません。
情けない!
やる気がない!
などと決めつけてしまう前に、その人の欲求のプロフィールに合ったかかわり方を工夫すると良いかもしれません。
ちなみに、生存の欲求が低い私は、いわゆる生命保険・医療保険というものには加入しておらず、損害保険も住宅ローンで義務付けられている地震保険だけです。
「病気になったらどうしよう・・・」という発想がそもそも殆どないので、私にとって、生命保険は無用の長物なのです。
そんな私とは正反対に、「そんなに入ってどうするの?」というくらいに医療保険や生命保険に加入している友人がいます。
それも納得!
だって、彼女はとても生存の欲求が強いですから、彼女にしてみればそれが欲求充足の行動であり、自然なことなのかもしれませんね。