今日5月14日は母の日です。
今年で79歳になった母はあちらこちらに不自由がありながらも、ありがたいことに父と二人、時に(毎日?)ケンカをしながら田舎で暮らしています。
世の中の多くのお母さんがそうであるように、私も母からは(もちろん父からも)無償の愛を注がれました。
親が子を思う何の見返りも求めない、ただ自分が与えるだけの、一方的に注ぐだけの無償の愛。
自分を愛するように相手を愛する。いえ母親のそれは自分以上に子供を大切に思う尊いものでしょう。
「できることなら親子関係に留まらず、友人にも自分の上司やメンバーにも見返りを求めずに無償の愛を注げる人になりたい」という話を以前した時、
「そんなのはきれいごとで絶対に無理ですよ~。無償の愛なんて自分の子供以外に注げるわけがない。」
とその方に言い返されてしまいました。
かつて、メンバーの成長がなかなか見られずにイライラしていた時に、同僚から言われた言葉があります。
「期待するから腹が立つのよ。私はKさんに過度の期待をしていないから、同じミスをされても残念だとは思うけどそんなに腹は立たないよ。」
その時私は、この同僚はなんて冷たい人なんだろうと思いました。メンバーの成長を期待しないなんて。
しかし、彼女が「期待」という表現をしただけで、本当に彼女が言いたかったことは、「メンバーのために自分は一生懸命尽くすけれども見返りは求めない。だから、『成長』という見返りが得られなかったとしても腹が立つことはない。」ということだったのかと思いました。
何回言ったら分かるんだろう。いつになったらできるようになるんだろう。こんなに一生懸命関わっているのに。あんなに何度も教えてあげたのに。貴方のために膨大な時間を割いてあげたのに。
こういう事柄に基づく上司のイライラは、自分がエネルギーを注いでるにも関わらず、それに見合ったメンバーの成長、すなわち上司にとっては見返りが得られていないことへの苛立ちなのかもしれません。
そう思うと、薄情だと感じた同僚はメンバーに対して無償の愛を注いでいたのかもしれません。
実際、多くの人が手を焼き、私も半ば諦めかけていたADHDのメンバーが、彼女の下では力を発揮し良い仕事をしていました。単に相性が良いとかそういうことではなく、無償の愛がメンバーの強みを引き出し、その懐の深さがメンバーの成長を後押ししたのだと思います。
かつて言われたことがあります。
「メンバーをマリオ(当時飼っていた愛犬)だと思って接すればいいよ。」
その時は「そんなの無理よ!」と即座に言い返しました。しかし、彼女はこう言いたかったのだと思います。
「マリオに無償の愛を注ぐように、メンバーにも無償の愛を注いであげなさいよ~」と。
「何の見返りも求めずに自分を愛するようにメンバーを愛する」というのはとても難しいことだと思います。しかし、一部の優秀な人たちが勝手に成果を上げていく職場ではなく、色々な人たちが切磋琢磨して1+1=2ではなく、3にも5にもしていくには、リーダーの無償の愛が必要不可欠なのだと、今の私は心から思うのです。
母が私に注いでくれた数えきれないほどの深い深い愛情。それらを思い出しながら、私もメンバーに対して、そしてお客様、友人、関わる人たちに無償の愛を注ぐ生き方をしようと心に誓ったのでした。