人間力

「聴く」ことができない3つの理由

「聴く」ことができないのには理由があります。

そもそも、子供の頃から
「話し方」「伝え方」を積極的に学ぶ(教えられる)ことはあっても、
「聴き方」をしっかりと学ぶ機会は殆どありません。

私の記憶では、
「ちゃんと人の話は聞きなさい!」と注意される程度だったように思います。

発表の仕方、気持ちの伝え方、プレゼンスキル、ディベートなど
「発信」については子供の頃から何かしら学んでいますが、
「受信」=「聴く」ことについて、
しっかりと学んだことがある人は、
コーチやカウンセラーなどの仕事をしている人以外では
ごくごく少数だと思います。


つまり、「聴く」ことができないのは、
「聴き方」を知らない、
「正しい聴き方」を学んでいないからであり、
当たり前と言えば当たり前なのです。


では、正しい聴き方とはどういうものなのでしょう。
その前に、なぜ人は聴くことができないのでしょうか。
3つの理由があります。


1.相手との関係性が近い → 無意識のマウンティングをしている

部下、後輩、家族など、関係性が近い相手の場合、
自分では気がつかない潜在意識下でマウンティングしていることが
多々あります。

自分が優位に立ちたい。
自分の思い通りに結論付けたい。

例えば、
「最後まで聞かなくても何を言いたいかわかる」
と話を遮ってしまうのはその典型です。
最後まで聞いたら今日は違うことかもしれないのに、
「自分はわかっている」と優位性を心の中に持っているから
そのように考えてしまうのです。

部下や子供の提案を最後まで聞かずに
「俺の言う通りにしろ」などと言うのも
マウント(相手をコントロールしようとする)の最たるものです。

聴く側にマウントの意識がなくても(無意識であったとしても)
話しをする側は、マウントされている事は敏感に感じ取ります。
すると、聴く前に相手は話をすることを止めてしまいます。

自分にはなかなか話をしてくれない。
そんな風に相手に対して感じるならば、
もしかしたら、あなたは無意識のマウンティング状態にあるのかもしれません。

どんなにマウントしてみたところで、
他人をコントロールすることはできません。
あなたがマウントを手放すことで
思いのほかすんなりと聴けるかもしれません。


2.相手の話をつまらないと感じる → 相手の関心に関心がない

「聴くのが苦痛」「聴き下手」と自分で言う方の「聴けない理由」として
多く声があるのが
「相手の話がつまらない」
です。

自分の興味がある話だったら聴けるけど
興味のない話だったら聴けない。

これはつまり、
「相手の関心に関心がない」ということですね。

聞きたい話しは聴くけど、
訊きたくない話は聴かない。
と言っているのと同じです。


それで済むなら無理に聴く必要はありません。
しかし、相手の気持ちや考えを知る、
相手との関係性を深く築く、など
「聴く」必要があるのであれば、。
聴かなければいけません。

聞きたい事だけを聴くのではなく、
相手の関心に関心を持ちましょう。

「自分の」関心で話を聴くのではなく、
「相手に」関心を持つのでもなく、
「相手の」関心に関心を持つのです。


好きな人ができて仲良くなりたいな、お付き合いしたいな
と思ったら、その人を知ろうとして、
一生懸命に相手の関心に関心を持って話を聴きますよね。

このお客様は何に困っているんだろう、
どんな提案をすれば喜んでいただけるのだろう、
と思っていたら、お客様の関心に関心を寄せるはずです。


相手の話をつまらないと感じるのは
相手の関心に関心がないから。
つまりは自分勝手に聴いているということです。

なぜその人の話を聴く必要があるのか。

それを忘れていては自分勝手に陥ってしまうかもしれませんが、
「話を聴く理由」がしっかりと分かっていれば
相手の関心に関心を向けることも
そんなに難しくはないかもしれません。

3. 自分のバイブルが1番だと思っている

「バイブル」とは、あり方、考え方、やり方、思想信念など、
その人の思考や行動の基となっているモノのことです。

「営業には気合と根性が絶対に必要!」
と信じて疑わない人が、
「営業はまず、お客様と仲良くなること」
と話す人の話を聞くと、
「いやいや、そうじゃないよ。間違ってるよ。教えてあげなきゃ。」
と自論を展開して相手の口を封じてしまうことがあります。

自分のバイブルと他人のバイブル。
どちらも共存して良いはずです。
自分のバイブルを大切にしながらも
他人のバイブルを尊重することができれば、
相手の価値観や考え方について耳を傾けることもできるはずです。

自分のバイブルを確立させ、
そこに自信を持つ事は良い事ですが、
それを他人に押し付けるのは違います。
押しつけているつもりはなくても
他人のバイブルに耳を傾けることができないのは
他人のバイブルを拒否しているのと同じです。

私は私、あなたはあなた。
同じである必要はないのですから、
相手のバイブルにも耳をしっかりと傾けて、
あわよくば自分のバイブルをバージョンアップしてしまおう、
くらいの心のゆとりがあると良いですね。


こうして考えると、「聴く力」は人としての成長と
切っても切り離せないものだと感じます。

聴くことを通して、
聴き方を磨くことで、
人としての成長も遂げていく事ができれば
素晴らしいと感じます。

「聴き方」を学びたい方はこちらのお問合せフォームから

「聴いてもらう」ことで聴き方を学びたい方はこちらから

尾藤のプロフィールはこちらから

タイトルとURLをコピーしました