誰だって変わることができる

許しは忘れることではない

どうやっても許せない、許しがたいという出来事は、長く生きていると1つや2つはあるものです。

時間の経過とともに自然に消化されるものもありますが、常に一緒にいる仲間との間にそのような許しがたい出来事が起こった場合、その後の全てに支障をきたします。

例えば、メンバーがこちらの指示を全く無視して勝手な行動を取った結果、とんでもない事になってしまい、その全ての尻拭いと責任をマネージャーである自分が負うことになってしまった。

例えば、とても目をかけ可愛がっていたメンバーがある日突然、何の相談も予告もなく、競合他社に転職することになった。

 

多くの場合、問題の火の粉が自分に降りかかってきたり裏切られたと感じた時に「許せない」と強く思うのかもしれません。

それでも、家族であれば縁を切ることは難しいし、職場の仲間であれば共に目標を達成していかなければいけません。起こってしまった問題をなかったことにする、全てを水に流すということができれば良いのでしょうが、そうなかなか上手くはいきません。どうしても「しこり」が残り、水に流すどころか許すことさえ難しいのが現実です。

それでなくても私は巳年なので執念深い(?)のか、過去のことをいつまでもよく覚えています。口では許したと言っていても、お腹の中は100%そうではないことも多々ありました。

これはもう性分だから仕方がないのかなぁ、と思っていました。

 

ある時、手にした本にこんなことが書いてありました。

「許しは忘れることではない。許しとは理解することである。」

 

とても衝撃的でした。

実際、相手のこと(本人の考え、気持ち、なぜそのような行動に至ったかの理由など)をちゃんと理解出来ている時には、彼・彼女の行動の結果を非常に残念に思っても「怒り」の感情はあまり湧いてきません。しかし、怒りの感情があまりにも大きすぎて相手のことを理解する気が全くない時には、許すどころかますます怒りが増大し、恨みや憎悪の感情までが沸き起こってくるのです。

そこで、過去の「しこり」を思い出し、相手のことを理解しようと努めてみました。その結果、長い間、私の中に居ついていたしこりがいつの間にか小さくなり、ほとんど気にならなくなりました。驚くべき効果でした。

 

カチン!ときてしまった時、いきなり冷静になって「理解しよう!」などというのは難しいことです。

しかし、相手との関係性をこれからも良い状態で続けていきたい、または続けなくてはいけないのであれば、起こってしまった事柄にいつまでもこだわり続けるのではなく、許すことでその事実を消化し、自分自身も一歩前へ進まなければいけません。何より相手を許せない状態、すなわち自分の中に怒りや悲しみ、恨みなどを持ち続けること自体が、自分自身にとって良い状態ではありません。相手のためではなく、自分のためにこそ「許す」ことは必要なのかもしれません。

その時に必要なのは、忘れることではなく理解すること。

許しとは理解することなのです。

 

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