誰だって変わることができる

成長する人が手書きにこだわる理由

PCで書く。手書きで書く。
同じ書くでも効能が違う。

PCで書くは、推敲する。清書する。
保管すること等に適している。

手書きで書くは、
思考の発散とそれらをまとめるまでの手順にとても効果がある。

ノートに思いついたまま書く。
関連個所を丸で囲んだり線で結び付けたり、
ちょっとしたイラストや吹き出しメモを付け加えてみたり、
他人に分からなくても全く構わない。
他人に見せるためでも、綺麗に清書するためでもなく、
自分の頭の中にあるモノをすべてそこに吐き出すつもりで
とにかく書く。

書くことは、思考を見える化する。
思考の見える化は、成長においてとても大きな役割を果たす。

書くことでわかること、気づくことがたくさんある。
まだまだ浅いな。なんだか意味不明だ。
これ、本当に言いたいことだっただろうか。
書いたものを見ることで、改めて思考を脳にインプットできる。
声に出して読むと、耳からもダブルで脳に入ってくる。

一度、アウトプットしたものを、またインプットする。
それを繰り返すことで思考の循環、練り直しが起こり、
思考の更なるバージョンアップ(深まり)が期待できる。

私は打ち合わせや議論の場では、ノートPCではなく、
必ずノートとペン(しかもHi-uniの鉛筆)を用意する。
コーチングの際のメモも、ノートと鉛筆がマストである。
7mmの横罫をほとんど無視して、書きたいように書く。
綺麗とは言い難い文字が思考を刺激する。
コーチングにおいてはクライアントの言葉が耳からともう一つ、
文字となって目から入ってきて、
私がクライアントに寄り添うことを大きく助けてくれる。
これがPC文字になると、入力段階からアイデアは萎み
記録に意識が向き思考の発散には至らず、感情に揺れも起こらない。

書くことを面倒な作業だと思うと、苦痛にしかならない。
しかし、思考を見える化して新たな発見を得るチャンスと思うと
書くことが楽しみになる。

考えが浅い。
深く考えるのが苦手。

そんな人は、浅くても今頭の中にあるモノを手書きで書いてみる。
目で見て、言葉に出して読み上げたモノを自分の耳で聞いてみる。
繰り返しているうちに、不思議な気づきがきっとある。

日々の振り返りは書くに限る。
書いている人とそうでない人は、
深さが違う。
気づきが違う。
学びが違う。
そして、翌日の行動が違い、
結果が違ってくる。


「書く」人の気づきや学びは、
書かない人のそれに比べると深く大きい。

成長したければ書く。

思考を見える化する。

誰に見せるためでなく、
記憶のためでもなく、
アウトプットとインプットの繰り返しのために書く。

そうすることで、きっと、あなたは
これまでよりも一層大きく成長できる。


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