マネジメント・リーダーシップ誰だって変わることができる

その言い方では伝わりません

「いくら言ってもわかんないんだよな。」
「伝わらないんだよな。なんでだろう。」

しばしば聞かれるマネージャー達のつぶやき。
いえ、これらはマネージャーさん達に限ったことではありません。
夫婦間、親子間、仲間同士など、人と人とのコミュニケーションにおいて、発信側と受取る側のチャネルが違うと、このようなことは普通に起こり得るのです。

「美味しそうなご飯」
こう聞いて、あなたはどんな想像をしますか?
ある人は艶々に輝く炊きたての銀シャリが唐津のお茶碗にふっくらと盛られた様子。
またある人は、ご飯にお味噌汁、煮物に焼き魚、そこに大好きな卵焼きも添えられた昔からの和食の様子。
またある人は、あっつあつのビーフシチューに新鮮なグリーンサラダ、バゲットに1杯の赤ワインがグラスにセッティングされたレストランでの食事風景。

「強い風」
こちらはどうですか?
春一番のようなあたたかな南風なのか。台風の時のようなゴーゴーと音を立てて吹き荒れる突風なのか。はたまた真冬の夜に吹きすさぶ雪をも舞い上げてビュービューと吹く北風なのか。

発する側は自分のイメージを頭に描いています。
しかし、「美味しそう」「強い」などは、受け手のイメージでどのようにでも変わります。
だから、銀シャリをイメージして発信して受け手がビーフシチューを思い描いたとして、「あの人には伝わらない」と言うほうがおかしいのです。

以前勤めていた会社の上司は、「文脈読めよ!」と腹立たしそうによく言っていました。これはいかがなものでしょう。発する側がお客様ならまだしも、社内においては、せめてマネージャーが仕事の指示や大切な事柄を発信する時には、相手が「忖度」することを期待するのではなく、発する側が誤解ないよう、可能な限り事細かく説明する必要があるのです。

とは言いつつも、かなり右脳派の私は、この手の説明は以前はとても苦手でした。というか、面倒くさいのです。
自分の頭の中にはイメージがあるのですが、それを言葉にすることがなかなかに難しいのです。今振り返ってみると、それは単なるボキャ貧にすぎないのですが、その頃は苦手意識が先行し、とにかく丁寧に説明するのが億劫で仕方ありませんでした。私と同感覚のメンバーには言葉少なくとも伝わっていたので、彼女を介して他のメンバーに伝えてもらうという手抜きをしたこともあったほどです。

ところが!
お客様からはいつも、「映画かテレビドラマの映像を見ているように、尾藤さんの説明はわかりやすい。」と言われたものです。
この違いは一体なんなのか?

「分かっていただきたい」「お伝えしたい」
という必死の想いなのか、
「そちらが意を汲みなさいよ」「これくらい理解しなさいよ」「私の言いたいこと、いつも一緒にいるんだからわかるでしょ」
という傲慢さが影を潜めているかに大きな違いがあったように思います。

楽しい、強い、美味しい、きれい、すごい、丁寧な・・・・
このような形容詞、形容動詞は一見、分かりやすそうで、受け取る側の主観的判断でどのようにも変わるので、情報を正しく伝えたいときには、実は適切ではないように思います。

このような形容詞満載の表現を聞いた時、私は必ず質問します。
「その『楽しい』の中身を教えて。」
「どんなふうに『きれい』なの? 色とりどり? 整然としているということ? デコラティブに飾られているということ?」

誰が受け手でも遜色なく同じ理解ができるような表現をこちらから引き出します。
できるだけ客観的かつ具体的な表現を求めて質問します。
数字で表現できるのなら数字を使って。色や比喩も良いですよね。意外にも、オノマトペを使うのもわかりやすいです。

「伝わらない!」と嘆く前に伝わる言い方を。
「言っている事がわからない!」と腹を立てる前に、こちらから質問を。
そうすることで、もっとお互いのことが理解し合えるようになるに違いありません。

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