禅語から学ぶリーダーのあり方

「担雪埋井」結果だけを求めない

担雪埋井(たんせつまいせい)

【意味】 雪を担いで井戸を埋めようとして、溶けてしまって井戸は埋まらない

無駄なこと。愚かな行為。
何かを為そうと努力をしても、そう簡単に事は運ばない。人生とはそんなに都合良くいくものではない。
しかし、例え雪で井戸を埋めることはできなくても、運び続ける努力を続けることが大切であり、続けることで何かが見えてくると教える説もあります。

「そんなの無駄な努力じゃない?」
こんな言葉を時折耳にします。

人は報われると分かった努力しかしないものでしょうか?
つまりそれは結果がある程度見えている、または約束されている努力です。
そんなことはないはずです。
結果は分からなくても、全く先が見えなくても、せずにはいられない事、または自分がしたいと思う事。そんな努力はあるはずです。
いえ、そういう努力の先に、実はとんでもない素晴らしく輝くご褒美が待っているのかもしれないとさえ思います。

折しも平昌オリンピックで羽生結弦選手がショートプログラムで見事な復活を遂げた後のインタビューを耳にしました。
「できることは全てやった。それだけの努力をし続けた。」
彼はしっかりと前を見つめてそう言いました。
絶望的大怪我を負ってから氷の上に乗るまでの約2カ月、まさに彼や彼の周囲の人たちにとっては担雪埋井の思いだったかもしれません。
しかし彼はこうも言っていました。
「スケートが好きだと改めて思った。」

努力の結果だけを求めるのではなく、好きだから、楽しいからということは、もうそれだけで立派に続ける理由になるでしょう。
これは人の育成にも同じことが言えるのではないでしょうか。
結果を求めるのではなく、メンバーが好きだから、メンバーの成長を心から願うから、ただひたすらに毎日毎日井戸に雪を運ぶがごとく、地道に彼らに必要なメッセージを発し続ける。効果的な言葉を狙って放つのではなく、ただ、じわじわと彼らの心に染み入るよう、表現や例えを変えて発し続ける。ただ純粋に彼らの成長を願って。

今日はまとまりのない内容になってしまいました。
何かを求めて努力することも勿論大切ですが、求める気持ち一旦手放して、好きだから、楽しいからと自らの心のままに
続けることもまた、本当に素晴らしいことなのだと思うのでした。

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