「就職試験に全部落ちたのは、あんたが何でも思ったことを全部口にするから。左耳が聞こえないのをわざわざ履歴書に書くから。周りにいる人は良い人ばかり。けれども世の中、そんな人ばかりじゃない。」
NHK朝ドラ『半分、青い』で主人公 鈴愛(すずめ)に対して母親が我が子を強く思う気持ちから絞り出すように言った言葉でした。
思わず私は呟いてしまいました。
「それは違うよ。松雪ちゃん(母親役は松雪泰子さんなので)。そんな風に言っちゃったらダメだよ。」
すると、一緒に見ていた母は松雪ちゃんに賛成したのです。
「いいや、その通りよ。世の中、そんなに甘くない。母親の気持ち、よくわかるわ。あんたも何でもかんでも馬鹿正直なところあるからね。」
母の言葉に反論したかったのですが、朝から母を相手に討論するのもどうかと思い、口をつぐみました。
この後、鈴愛はこう言うのです。
「知ってたよ。落ちた理由は知ってた。けど、私はうそをついて生きたくない!正直に生きたい!」
私は思います。
左耳の障害を隠して試験を受けるということは、そのことを引け目に感じているということ。
鈴愛にとって、聞こえないことは少しばかり不自由かもしれないけれども、そんな自分恥ずかしいとか可哀想とかは思いたくないし思ってもいない。それよりも、そんな自分を丸ごと受け入れてくれる人・組織と向き合っていられればいい。
他人から見たら不器用な生き方に見えるかもしれないけれど、左耳が聞こえないことは自分の一部であり、それも含めて自分なのだから、そのことを隠すということは自分を否定しているようで、そんなことは嫌なのだと。
また、私が採用する側の立場だったら。
左耳の障害が試験の時にはわからなかったとしても、入社後、遅かれ早かれそのことは知ることになるでしょう。
その時、「ああ、この子はそれを隠して試験を受けたんだな。」と思うに違いありません。
可哀想にと同情の気持ちを抱くのか、事実を隠して健康状態良好と嘘をついたと感じるのか、それはわかりません。しかし、何らかのマイナスな気持ちを抱くことは確かでしょう。
知っていて採用するのと、採用後に知るのとでは彼女に対する印象が大きく異なります。後から知った時、私はどう感じるのかわかりません。
ただ、少なくとも、左耳が聞こえないから不採用と即断してしまうのではなく、それは彼女の一部としてとらえ、彼女の本質をしっかりと見極めて採用の合否を判定する経営者でありたいと強く思います。
綺麗ごとだけでは生きていけない。世の中、そんなに甘くない。良い人ばかりじゃないんだから。
確かにそうかもしれません。
しかし、それでも私は鈴愛の考え方に大きく賛同します。そして、そういう生き方を応援できる人間(経営者)を目指したいと思っています。
あなたはどう思いますか?
母親の意見に賛成でしょうか?
それとも困難があったとしても、鈴愛のように真っ正直な生き方を選びますか?