専門資格取得のための金額もかなりお高い講座。
数回の講義とその間の宿題、そして最終チェックテストの後、試験を受けて合否が決まるわけですが、既定の宿題提出がしっかりと行われ、最終チェックテストも一定のラインを超えなければ、受験資格が与えられずにスタートラインに立つことができません。
ところが、宿題の提出も完璧ではなく、講義出席日数も若干足りなかったAさんが受験資格を得たということで、他の受講仲間から不満が噴出しました。
「あの宿題、大変だったよな。そんなのだったら俺だってやりたくなかったよ!なぁ!」
そう言って仲間に同意を求めるAさん。
多くの人たちがAさんに同調するる中、Kさんは違いました。
「別にどっちだっていいんじゃない。」
Kさんの発言に驚いたAさんが言いました。
「だって、不公平じゃないか!」
するとKさんは穏やかにこう言ったのです。
「宿題って、提出するためにやるんじゃないし、受験資格取るためでもないし、本来は、自分のために、自分の理解を確認したり知識を増やすためにやるんじゃないの?それに、ゴールは資格取ることじゃなくって、その先だよね。資格を取った後、それを使ってどうするかが勝負じゃないの?不公平とか、そういう考えの方が、なんか、俺はわかんない。」
全くKさんの言う通りです。
そもそも学習はなんのためにするのか? ということです。
しかも、高い金額を支払って、自らの向学のために受講しているというのに、不公平とかそういう発想自体がどこか間違っていると思います。
それにKさんの言う通り、資格を取ることが目的となっていては元も子もありません。
資格を取った後は安心しきってブラッシュアップしない人に、お仕事頼みたくないですものね。
まさに、その後が本当の勝負。
だとしたら、宿題も自分を磨く一つの手段、良いきっかっけと捉えて、何事も前向きに取り組む。
それが、成長する人とそうでない人の差になるのででしょう。
結局、大人になってからの学習は、学ぶ人のスタンス一つで大きく得るものがあったり、殆どなかったりということなのでしょう。
Kさんの言い分に真っ赤になってしまったAさん。
「俺、なんか、ちっちゃいヤツだったな・・・。Kさん、ありがとう・・・。」
自らの間違いに気づき、それを認め、指摘してくれたKさんにお礼を言うことができるAさん。
この出来事からしっかりと何かを学んだAさんもまた、さすが! なのだと思います。