マネジメント・リーダーシップ組織開発

どうして雲は空から落ちないんだろう?

どうして雲は空から落ちないんだろう?

あなたの子どもがこんな質問をしたら、あなたはどんな反応をしますか?
「何バカなこと言っているの。」と質問を止めさせますか?
「すごいことに気がついたね。一緒に考えてみようか。」と着眼点を褒めて探求の道を共に歩みますか?

私たちは誰もが皆子供の頃には、このような「素晴らしい質問」ができていたはずです。
素晴らしい質問とは当たり前を当たり前と捉えず、感じたままの自然体で問いかけることです。
「どうしてお空は青いの?」
「どうして氷は冷たいの?」
「どうして男の子がスカートはいちゃいけないの?」
「どうして大人は難しい顔してお仕事しているの?」
なぜなぜ攻撃の素晴らしい質問のオンパレードで親を困らせた年頃は誰にも等しくあったはずなのです。

ところがいつの頃からか、私たちは常識と言われている枠からはみ出さないよう、好奇の目で見られないよう、その「素晴らしい質問をする能力」に蓋をしてしまい、何も感じない、何も気がつかないようになってしまいました。
その方が大人らしいから?
その方が周囲とうまく調和できるから?

しかし本当にそうでしょうか?
不思議に思ったこと、知りたいと思ったことを素直に質問できる。その質問を真摯に受け取り答えられる。または一緒に考えることが出来る。
互いの質問を共有することは、双方の絆を一層強くするのではないかと思います。

意見は時として、互いの間に抵抗や恐怖、分断を生む可能性があります。
しかしながら良い質問は、相手の心を開かせ、互いの結束に繋がります。

「この行程、なぜ必要なんですか?」
「僕らはチームとして他に何ができるのかなぁ?」

常識を疑ったり、ゼロから何かを生み出すきっかけを作ったり、そんな質問が日常的になされているチームは、おそらく互いが互いを尊重し、常に前向きに物事を探求することができる風土があるのでしょう。
当然ながらそのようなチームでは常に小さなイノベーションが起こり、ルーティンであっても日々ブラッシュアップされ、時流に取り残されることなくしっかりと自分たちで変化を創り出すことができるサスティナブル集団に違いありません。

かつて、
「とにかく仕事量が多くて働き方改革どころではない」
というご相談をいただいたA社様に
「一番時間がかかるという〇〇という行程を止めたらどうなるんですか?」
と質問したところ
「尾藤さんは部外者なんで分からないかもしれませんが、行程を変えることはあってはならないんですよ。」
と、その場にいたお一人に一蹴されたことがありました…
しかしそれを聞いていた別の方が言ったのです。
「僕らにはその観点は全くなかった。当たり前から離れて考えてみませんか。でないと、この包囲網からは抜けられないですよね。」
A社様にイノベーションの目が生まれた瞬間でした。

どうして雲は空から落ちないんだろう?
あなたはこんな無邪気な疑問をチームに投げかけることができますか?
あなたのチームは互いに「素晴らしい質問」を尊重し合うことができていますか?

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