マネジメント・リーダーシップ組織開発

事実を受け入れる

通称「一本道」と呼ばれている公園裏手の300メートルほど続く遊歩道。
表通りから入り右へ抜けると公園へ、左へ曲がると小学校があります。
お散歩コースになっていたり、ランニングする人がいたり、時間帯によっては通学路にもなる一本道。
いつもの通り夕方暗くなり始めた時間にワンコのお散歩で公園側から表通りへ抜けるコースで歩いていると、通りに茶色いチョークで書かれた大きな落書きが目に飛び込んできました。

6-1 〇〇〇〇(女の子のフルネーム) 死ね

暫し茫然、唖然としてしまいました。
誰が書いたのかは知りませんが、大きな大きな、しかもハッキリと書かれた落書きです。

「うちの子、いじめられてたから、こういうの見ると涙が出てくる」
一緒にいたワンママが涙声で言います。
私たちは持っていたペットボトルに入った水をチョークの上にかけ、足でこすってその落書きを消しました。

「いじめにしても陰湿ですよね。学校に言いましょうか。」
私がこう言うと、もう一人のワンママも賛同してくれました。
一方、涙ぐんでいたワンママが言いました。
「いじめてる子が書いたんじゃなくて、いじめられてる子が仕返しに書いたのかもしれないよ。」
その場ではどうしようかと話をしたものの、その日は何もせずに帰りました。

翌朝、やはりワンコのお散歩で一本道に差し掛かった時、私は我が目を疑いました。
昨日消したはずの落書きの近くに、今度はもっとひどい言葉が書いてあったのです。
同じように女の子のフルネームは書かれていました。
いじめている方なのか、いじめられている方なのか、それは分かりませんが、とにかくこんな落書きを通学路にあたる道にデカデカト書くだなんて、やはり許されることではありません。
もうすぐ登校時間が始まるころで、校門前には毎朝、先生たちが生徒を出迎えています。
私は昨夕と同様、持っていた水で落書きを消して、しかしその前に念のためスマホで落書きの写真を撮り、それから小学校の方へ向かいました。

案の定、年配の男性の先生が校門の前に立っていました。
幸いまだ生徒の姿は見えなかったので、私は昨夕と今朝目にした落書きについてその先生に簡単に説明をしました。
すると、その男性教諭は信じられないことを言いました。
「誰が書いたかは分からないんですよね。それでは対処のしようがありません。うちの児童が書いたとは限りませんから。」
私は我が耳を疑いました。
こうやってイジメは封印されていくのかしら・・・
小さな目のうちに対処するという考え方はないのかしら・・・
それとも私が学校関係者ではないから見栄を張っているだけ???

子供たちがやがて通学し始め、私は追い払われるようにその場を後にしました。
なんだかなあ、何なんだ!あの教諭は!この小学校は!!!

問題(トラブル)の芽をつけた時、それを見なかったことにする、気がつかなかったことにすることほど愚かな行為はありません。
最も愚かで情けないことは、問題が起きてしまう(問題を起こしてしまう)ことではなく、その事実に目を伏せて、知っているのに知らないふりをして適切な対応をしないことだと思います。

それはこの教諭や小学校に限ったことではなく、職場においても日常あることです。
メンバーになんだか元気がなく、報告に嘘が見られるようになった。
チームの雰囲気がなんとなく重苦しく、メンバー通しの会話が減ってきた。
数字は変わらず上がっているが、お客様からの感謝やお褒めの言葉がこの頃は聞かれなくなってきた。

ちょっとした兆し、小さな変化は気をつけていれば気がつくはずですし、自分自身が見逃していたとしても、周囲との会話の中でそのヒントをもらえることは案外たくさんあるものです。
ところが見なかったことにする、気がつかなかったことにする、何でもないだろうと勝手に決めてかかる。
何故なら問題だとしたら面倒だから。忙しいから。厄介なことを背負いこみたくないから。
本当にそれはどれほど愚かなことなのか・・・

その後、あの落書きに書かれていた女の子がどうなったのかはわかりませんが、あの男性教諭を校門前で見かけるたびに、私は自らに問いかけます。

私は傍観者になっていないかしら?
問題を問題として捉えるまっすぐな目を持ち合わせているかしら?
だって、問題が起きないことが良いのではなく、問題を問題としてきちんと捉え、適切に対応することこそが大切なのだから。

私の周りには小さな問題から大きな問題まで様々な事柄が渦巻いていますが、少なくともそれらをしっかりと認識し、対応順やその方法を自分できちんと分かっているという自負があり、心に嘘がないためか、不思議と焦りや不安はありません。

事実は事実としてしっかりと受け止めましょう。
問題は問題としてしっかりと認識しましょう。
改善への道も、成長への道も、すべてはありのままを真正面から受け入れてこそ始まるのです。

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