上司が暴走している。方向性を見誤っている。判断にぐらつきがある。
上司と言えでも人間。悩み、迷い、間違える時もあるかと思います。
こんな時、メンバーとして上司に「必要なコト」を言えれば良いのですが、ストレートに言いすぎると上司の機嫌を損ない、良かれと思ってしたことが逆風をまともに浴びることになりかねません。
それでも、この状況を放っておけない・
数年前、その状況に危機感を感じ上司に諫言をしました。
諫とは「いさめる」いう意味。諫言とは、目上の人の過失などを指摘して忠告すること。また、その言葉。(デジタル大辞泉より)
しかし、見事に失敗。逆鱗に触れてしまい、結果、職を追われることになってしまいました。
何がいけなかったのだろう。
今になってようやくわかったことがあります。
上司に諫言(かんげん)する場合、上司の性格、つまり、どのような形であれば上司は受け入れやすいかを考慮しなければいけないということです。
当時の私は黒白ハッキリさせなければ気が済まない傾向が強く、相手の胸元に剛速球のストレートを投げ込んだようなものでした。自分ではそれが正しいと信じ切っていたため、上司たるもの当然、そのボールをしっかりと受け取ってくれるに違いないと、勝手に思い込んでいたのです。
しかし、上司だって受け取りたくないボールもあったのでしょう。私の諫言は見事に失敗に終わったのでした。
トップを支えるNo.2、No.3の立場にいる場合、単なるイエスマンであっては組織を滅ぼしてしまいます。
企業にしろスポーツチームにしろ、成長と繁栄が続いている組織には優れた参謀が存在しています。
マネージャーとはそういう参謀の役割りを担う立場だということです。
もちろん、諫言しなければならない場面に出くわさなければそれに越したことはないですが、大きな諫言からほんのわずかな小さな諫言まで、日常において全く必要ない完璧なリーダーというのは、ほぼいないのではないでしょうか。
お友達でなく、単なる仲良しでもなく、必要な時に必要なコトを上手に言うことができる知恵と勇気と徳を持ち合わせたいものです。
今朝の日経新聞「春秋」にこんな一節がありました。
お友達、同じ思想、イエスマンだけ、と皮肉られる人事の挙句、・・・・・
中国の唐は政権の維持のために諫言しやすいスキームをあえて作ったという。
「君主は諫臣がなければ正を失う」
(日本経済新聞 2017年7月23日朝刊より)