「知っている」ことが正しく「理解できている」とは限りません。ましてや、「知っている」からと言って、「実行できる」とは限りません。
厄介なのは、「実行できている」と自己判断している場合であり、それが「知っている事実」とかけ離れていることに気づけていない場合です。
この勘違いをしている人がポジションが上であればあるほど、周囲はそれを指摘することが難しくなります。普段から人の言葉に耳を傾けようとしない人にも、わざわざ嫌な思いをしてまでズレを教えてくれる人はいないでしょう。
「それ、違うよ」「ちょっと変じゃない」「うーん、微妙」など、相手の反応が100%でない場合は、自らの出来を「これでよいか」と振り返る謙虚さが必要ですし、そもそもが、「自分はできている」「自分はわかっている」とするのではなく、「もっとうまくできるには」「もっと深く理解するには」と真摯な態度が必要です。
この謙虚さ、真摯さを失うと、書物や他者から学ぶことがとても少なくなります。「知っている」「当たり前のことが書いてある」「自分はすでにやっている」など、表面的事象のみの理解で終わり、さらに深堀して学び極めようというスタンスではないため、残念ながら多くを得ることはできないのです。
つい先ごろ、ある大手グローバル企業の経営者の方とご一緒する機会がありました。同じ場に居合わせた20歳以上も若いと思われる他社一般社員の方の発言に大きくうなずきながら、「勉強になりました。ありがとうございます。」と頭を下げていらした姿がとても印象的でした。
その社員の方は、すごく普通のことを言っていたにすぎないのですが、ほんの少しだけ語られた別情報を、経営者の方は自分の知識と紐づけることで、何かのヒントを得たそうです。
「『自分はわかってるし、できている』と思った瞬間に、もう、終わっちゃうからね。」とおっしゃるその姿勢に、その企業の発展を見た思いがしました。
実るほど頭が下がる稲穂かな
単に「謙虚でいなさい」というだけでなく、このようなスタンスの人こそが、いっそう学び、成長し続ける人なのです。