誰だって変わることができる

イライラの正体は自己中だった

いつもつけっぱなしのテレビから、「イライラの正体は自己中だったんですね~。驚きましたけど納得でした。」という音声が聞こえてきました。
最近、介護疲れ(?)なのかイライラ気味だった私は、思わず耳がダンボになり(この表現は古いのでしょうか?)、テレビの話に聞き入っていました。

心理学的に見ても、イラっとしたりムッとしたり、それは自分の感性(感覚)に何かが引っ掛かっているからそう感じるわけで、どうでもいい事ならばセンサーは反応しない。
そのイラっとかムッとかは、自分の要求と反するものや欲求を阻害するものに対して反応する訳で、とどのつまりは自己中なのだと。
論理的には納得です。

けど、あの人の物言いが腹が立つ。
とか、
あのだらしなさに迷惑かけれててイラっとしない方がおかしい。
などとこちらはカッカしていても、不思議なことにそのことに対してあまり腹立たしく思っていない仲間もいるわけで、人間のセンサーとは実に面白いものだと思うのでした。

ちなみに「マウンティングされている」とか「あの人のああいうところがイヤ」というセンサーが触れるのも、それは実は「見たくない自分」が相手を通して写し鏡のように見えてしまって嫌悪感を感じたり、または本当は欲しいけど自分はまだ手に入れることができていないコトに対しての羨ましさ・妬みがマウンティングされていると感じたり、こちらの場合も言いようによっては自己中からくる感覚なのかもしれません。

自己中というとネガティブなイメージに聞こえますが、人間誰しも自分中心で物事を考えるのは当たり前。
自分が自分がと自分のことしか考えないという意味ではなく、自分基準で考えるのは自然だという意味あいです。

イラっとかムカッとかの正体が自己中の表れなのだとしたら、イラッやムカッとなった時に、いったい自分は何に反応していて、本当はどうしたいのか、何を手に入れたいのかを冷静に分析してみるチャンスだと捉えてみるのはどうでしょうか。

ちなみに私の介護疲れによるイライラは、父の「言葉」にあります。
そんな偉そうな言い方しなくても。
そんな否定的・悲観的なことばかり言わなくても。
そんな相手を悪く言う言い方しなくても。
口を開けばネガティブワードが飛び出してくる父にイライラが募っているこの頃なのですが、なぜ私がイライラするのかと冷静に分析してみると、「かつての嫌な自分」を思い出すからに他ありません。
自分はその世界から足を洗って卒業したのに、父を見ていると、かつての汚れた自分を突き付けられているようで、気持ちが本当に滅入ってくるのです。
だからイライラしてしまって・・・
つまりは父がかつての自分の写し鏡になっていて、勝手に自己中心的に気分を損ねているというわけです。

二度とこの世界には私は行かない!
と冷静に対応できれば良いのですが、そこは私もまだまだ修行が足りず、イライラ虫が顔を出して攻撃をしてきます。
イライラするのは未熟な証拠。
そんな風にでーんと構えて自分磨きに励むことができるともっと心穏やかなのでしょうがね。

イライラの正体は自己中だった。
あなたに思い当たることはありますか?

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