誰だって変わることができる

成長には、自己承認よりも自己受容が大切

自己承認と自己受容

どちらもよく使われる言葉ですが、
実は、全く意味が違います。

自己承認とは、自分で自分を認める・褒めることができている状態です。

かつて有森裕子さんがアトランタ五輪で銅メダルを取った時、
「自分で自分を褒めたい」と言った、あれはまさしく自己承認です。

「新入社員はまず、成功体験を持たせて自信をつけさせて云々」
これも、自己承認することで成長を促そうという考え方ですね。

ここで既にお分かりの通り、自己承認するには、
自分で自分を「認める」「褒める」ことができる「何か」が必要です。

「70点取れればやった!」と自己承認できる人もいれば、
「98点で悔しい!」と満点でなければ自己承認できない人もいます。

つまり、自分を認める・褒めることができる、その基準値は人それぞれ。
どんなに上司が「すごいな」「やるな」と認めて褒めたところで、
「それくらいで褒められても嬉しくない」
「上司はそうって言っているけど、これじゃあダメなんだ」
と当人が感じていたなら、自己承認にはつながりません。

有森裕子さんは、オリンピックでメダルを取って
初めて自己承認できたというのですから、
その基準はかなり高かったと想像します。

自己承認とは、人それぞれの基準に応じて、
得られやすくもあり、また難しくもあります。
そして、その基準を超えなければ認める・褒めることができないため、
最悪、ずっと認められない、褒められない、駄目な私・・・ 
となる可能性があり、やっかいなモノでもあるのです。


一方の自己受容。

言葉の通り、自己を受け入れるということです。
70点でも98点でも、そのまんまのあなたでいいんですよ。
できるできないとか、今どんな状態だから良いとか悪いとか、
そうではなく、
「ありのままの自分を受け入れる」
ということです。

そもそも、完璧な人などこの世には存在しません。

せっかちでお節介。涙もろくって熱くなりやすい。
突っ走ったら周囲が見えなくなって、信じたら一直線。
悪く作用したら、執念深くていつまでも根に持つ。
仲間にしたらとても心強いけど、敵に回したらさあ大変。

「そんな私も私は私。それでいいのだ~」
と凸凹な自分を丸ごと受け入れるのが自己受容です。

自己受容には評価はありません。
「そのまんまでいいよ」とシンプルにそれだけです。

バラはトゲがあるからいけない
桜はすぐに散ってしまってよくない
チューリップは球根だから花後の堀上げが面倒でダメ

ではなく、バラも桜もチューリップも、
それぞれがそれぞれに、そのまんまでいいんだよ。
という考え方です。


ここまで言うと、
「成長するには当然、自己承認の方が大切じゃないですか!?」
と聞かれます。
だって、自己受容は自分を甘やかしているように感じる。
自己承認できるよう、ステップアップしていくのが良いのでは、と。


自己承認が要らないとは言っていません。
成長するには自己承認も必要です。
しかしそれは、自己受容ができていて初めて効果的に作用するのです。


そもそも、ありのままの自分を受け入れられていない人は、
ベースとして「自分はダメだ」を持っているので、
自己承認の基準を必要以上に高く持ちがちです。

高い基準を満たした自分でなければダメなんだ。
そうでなければ世の中に認められない、受け入れてもらえない。

そんなふうに、勝手に思い込んでいるのかもしれません。

結果的に、高い基準のせいで、いつまでたってもなかなか自分を認めることができず、
歪んだ不適切な行動に陥ってしまう事さえもあります。
(パワハラとか、自虐になればメンタル不調とか)

まずは、「自分は自分でいいのだ~。凸凹の自分もそれでいいのだ~。」
とありのままの自分を受け入れる。
おかしな劣等感や自己否定意識を持たず、
まずは等身大の自分を受け入れる。

言い換えれば、マイナスからスタートするのではなく、
ちゃんとゼロポイントからのスタートで
設定した基準値を超えて自己承認に向かいましょう。
ということです。


成長には、自己承認よりも自己受容が大切です。
なかなか自己承認が難しいという方は、
まず、自己受容ができているかどうか、自分に聞いてみてください。
そして、もしまだだというなら、
バカボンのパパになって、
「俺は俺で(私は私で)、これでいいのだ~」
と何度も何度も自分に言って聞かせてください。


全てはそこからスタートするのです。

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