ある教授のお父さんの一人息子が、
その教授の息子のお父さんと話をしていますが、
その教授はこの会話には加わっていません。
こんなことは可能でしょうか。
これは「行動経済学まんが ヘンテコノミクス」に載っていたものです。
さあ、いかがでしょうか?
あなたはどう思いますか?
可能か? 不可能か?
私の答えはimpossible !!! でした。
可能なわけないじゃん!
あなたはどう思いますか?
巻末の答えを読んで、結構な衝撃を受けました。
なぜ衝撃を、しかも結構な衝撃を受けたのか?
答えが間違っていたからではありません。
正解は「可能」です。
ただ、間違えた理由が私の「固定観念」を見事に反映していて、それは自分でも日頃何となく気づいているのですが気づかないふりをしているものであり、更には自分自身が物凄く否定している考えであるにも関わらず、その考えが自分自身に根付いているという事実を突きつけられたからです。
不可能と考えた人。問題の理解を間違えたのでなければ、不可能と考えた人は、こう考えたはずです。
ある教授のお父さんの一人息子 = 教授自身
その教授の息子のお父さん = 教授自身
教授が自分自身と話をしているけどその会話には加わっていない。
そんな訳の分からない事があるはずない。
ここでの大前提。
教授=男性 という考えです。教授が女性であれば難の問題もなく可能な話ですが、教授を男性と思い込んでいるため、「不可能!」となってしまうのです。
私たち人間はイメージに捉われる生き物ですが、その前提には自分自身が持つ固定観念がそのイメージを創り出します。
女性も社会で普通に活躍する世の中を。男性よりも女性の方が優秀な部分だってある。国会議員や経営者、組織の中枢を担う人たちにもっと女性の登用を推進すべき!
日頃、私はそう思っています。
にもかかわらず、潜在意識の深いところでは男性優位の考え=固定観念が私の中を占めており。、教授=男性と何のためらいもなく当たり前のように考えてしまったのです。
自分は固定観念にはさほど縛られず、いたって柔軟に物事を考えることができる方だと思う。などと多少なりとも考えていたその鼻っ面を見事にへし折られた感じです。
私って、普通に古くからの固定観念ガチガチ人間だったんだ・・・・。
自分の頭で考えているだけでは自分がガチガチタイプなのか、柔軟なタイプなのかは分かりません。
私のように良い意味でも逆の意味でも勘違いしている人もいるでしょうし。
しかし、「自分は自分で思っている以上にガチガチ」だと知ることができて良かったと思っています。
事実を知って受け止めなければ何も始まらず、勘違いのままどんどん走って行ってしまいますから。
そういう意味で、時には本の力を借りたり自分とは異なるタイプの人たちとの会話を楽しみながら、自分のガチガチ度をチェックしてみることは必要ですね。
不可能! と答えたあなた。
事実が分かって良かったですね。学びと成長が今、この時から始まりますよ。