リーダーやマネージャー研修の一環として「質問力」に触れることがよくあります。
この質問力。最近はとてもフォーカスされてきて書籍もたくさん出ています。
同じ内容を問うのでも、どう言うかによって相手の受け取り方は全く異なります。
例えば、オープンクエスチョンかクローズドクエスチョンか。拡大質問か限定質問か。そして、Empowerring(力を与える)な質問か、Disempoweringな質問か。いわゆるテクニック論も氾濫しています。
しかし最も大切なことは、これらテクニック的な問題ではなく、質問の力を信じ、バカげた質問と臆するのではなく、それこそが偉大な質問だと心から思うことではないでしょうか。
子供は質問の天才です。偉大な質問の実践者です。
「どうしてお空の雲は落っこちないの?」
「どうしてお風呂に入らなきゃいけないの?」
「どうして〇〇ちゃんのお家と僕のお家では△△が違うの?」
大人の予想を遥かに超えた突拍子もない質問を浴びせてくることもあります。
私は子供の頃、とんでもない質問をして母をよく困らせたそうです。(全く記憶にありません)
「日本は中国やソ連(当時)みたいに共産党じゃいけないの?みんな平等になれるのに、どうしてダメなの?」
「どうしてパパはいっつもお家にいないの?」(父の名誉のために、仕事でとても忙しかったのです)
ところが小学生くらいになると、このような質問を皆一様にピタリと止めてしまいます。
それは何故か?
周囲の大人たちが、両親や祖父母、先生たちが答えるのが面倒だったり、自分たちも分からなかったり、そんな質問をする子は恥ずかしいと彼らの常識の枠で判断して子供の偉大な質問を「バカげた質問」と決めてしまい、偉大な質問をした子供たちにネガティブな反応を取った結果、子供たちにはネガティブな心理体験が積み重なり、バカげた質問(本当は偉大な質問なのですが)は口にしないという選択を取ってしまうのです。
しかし、世界を変えるほどに大きな結果を出したリーダーや哲学者たちは、子供時代からずっと、大人になってからも「偉大な質問」を自らに問うています。
アマゾンのジェフ・ベゾス 「どうやったらオンラインで本を売れるのかな?」
ニュートン 「どうしてリンゴは頭の上に落ちてきたんだろう?」
マクドナルドのレイ・クロック「どうやったら路上で美味しいハンバーガーを手に入れられるんだろう?」
ポラロイドカメラの発明者 エドウィン・ランドの娘「どうして撮った写真をその場でもらえないの?」
世の中の常識者と言われる人たちからすると「何、馬鹿なこと言ってるの」と捉えられがちな質問が、実に世界を変えたのです。
そう考えてみると、質問の力で大切なことは、「偉大な質問」をすることではないでしょうか?
常識にとらわれず、自由に。
企業様のグループセッション中、皆さんが話している途中で私が質問をすると、必ず決まって「尾藤さんは専門的な事、知らないんでまず、それを説明しますね」とおっしゃっていただくのですが、専門知識など不要なのです。
もっと言えば、知らないからこそ偉大な質問ができるのです。だって、彼らが捉われている常識の枠が私には全くないわけですから、私の偉大な質問によって、彼らの常識の枠も取っ払われるかもしれないではないですか!
あなたはいつもメンバーにどんな質問をしていますか?
バカげた質問ですか? それとも偉大な質問ですか?