最近、家康ゆかりの地に縁があり、
空いた時間を利用して岡崎城のある岡崎公園へ行ってきました。
岡崎城前の大きな荷物を背負った亀の像に書かれている有名な家康の言葉
人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし
いそぐべからず
不自由を常と思えば、不足なし
相も変わらず心にズシンと響き、暫くその前で動くことができませんでした。
信長、秀吉、家康の三人の中で、私が家康を一番苦手なのは、
私と一番距離がある、
私の一番苦手な部分が家康の強みだから
自然と拒否反応が出るのかも
と今更ながらに気がつきました。
公園をのんびりと散歩しながら、家康のすごさ・素晴らしさをたくさん感じましたが、
一番にズシリときたのは
しかみ像
でした。
世に云うしかみ像「徳川家康三方ヶ原戦役画像」は、
浜松の三方ヶ原で武田うしんの大軍に無理な戦いをいどみ、負け戦となって多くの家臣を失った家康が、
自戒の念を忘れることのないように描かせたものと伝えられています。
顔をしかめて苦渋の表情をあらわした珍しい肖像画です。
「しかみ像」は、やがて戦乱の世を統一し、世界に冠たる平和国家を作り上げる礎になったと云われます。
このしかみ像は、かの画像を基にして製作された石像です。
(愛知県岡崎市公式観光サイト より転載)
失敗から学ぶことは成長には欠かせない事ですし、
家康ならずとも、多くの人が、それを実践しています。
しかし、大きな失敗をしでかしてしまった時の自分の心持ち
無謀さ、傲り、浅慮、等々、それらを忘れないように、
一番情けない、一番みっともない、
一番忘れたくて思い出したくもない、その時の自分を忘れないようにする
その「あり方」に、私はしかみ像の前で、暫し立ち尽くして、
あまりにもの自分との違いに呆然としてしまいました。
いや、もしかしたら、いえ、もしかせずとも
「失敗から学ぶ」ということは
こういうことも含めて「学ぶ」ということなのです。
単純に、AではなくB、という事実ベースではなく、
それらのコトを為すのは人間である自分なのですから
その自分の「心」にまでフォーカスして振り返り学ぶ
ということが必要なのです。
実際問題、自分自身を振り返ってみると、とんでもない大失敗、大失態をしてしまった時は、
その原因のとどのつまりは「心」にあったと言っても良いかもしれません。
私が自分のしかみ像なるものを作ったら、いつまでもうじうじとして
なかなか前へ進むことができそうもありません。
それも含めての学びです。
苦手・嫌いとネガティブ感情が生まれるのは
そこに学びが隠れているからに他ありません。
私が家康公から学ぶことは、まだまだ山のようにたくさんあります。