新人事賃金制度の説明会。
給与が上がる人と下がる人。
会社の将来と社員の未来を考えて、経営陣が練りに練って
ようやく創り上げた新しい制度。
理屈では分かっても、実質賃金が下がる人にとって、
簡単に受け入れられる話ではありません。
どうにか理解を求めようとする経営陣。
社員の言い分に耳を傾けはするものの、
結局は説明、説得に走ってしまう。
納得ができずに新制度を受け入れることができない
多くの社員がまだいることに、
自らの力不足を嘆く説明者。
一体何がいけないのか。
この手の話は100%の理解を求めるのが無理なのか。
新賃金制度に限ったことではありません。
例えば部門の統廃合。
経営難によるリストラ。
もっと身近で言えば転居を伴う異動だってそうですし、
転居を伴わなくても不本意な異動や担務の変更など、
当人の意に大きくそぐわない様々な決定事項は
組織にいる限り、つきものと言っても良いでしょう。
そんな時、なんとかYesと言ってもらおうと、
必死で説明したり、説得したり、
とかく理屈、理論であれこれ話をするのですが、
そうすればするほど、人の心は遠ざかっていきます。
しなければならないことは、説明でも説得でもなく、
その人の「気持ち」「心」に寄り添う事、
感情を受け止めること、
悲しみ、悔しさ、やるせなさ、歯がゆさ、怒り、苦しみなどなど、
その人の心を知ることです。
組織に所属している以上、どんなに不満を言ってみたところで、
決定事項が覆らないであろうことは、誰だって
頭の片隅では分かっているはずです。
最終的には受け入れざるを得ないのであることを。
ただ、それらを無理矢理押し付けられて、
不満の塊で引き続きコトに当たるのか、
本意ではなく受け入れざるを得ない事だけど、
せめて気持ちを分かってくれている人がいるのだと、
自分の中で気持ちにケジメがつけられているのか、
それでは、その後の行動に天と地ほどの差が生まれてくるのです。
だからこそ、説明側がしなければいけない事は、
説明でも説得でもなく、気持ちを受け止めるコト、寄り添うことなのです。
そしてもっと言うならば、
それ以前の問題として、普段からの関係性、
「〇〇さんの言う事なら、仕方ないね、受け入れよう」
と言ってもらえるような関係性、
つまり、こちら側の人間力を磨き上げておくことにあるのです。